大航海時代とルネサンス 大航海時代 ルネサンス 歴史 参考文献 index

ペリン・デル・ヴァーガ 1

ペリン・デル・ヴァーガ(1501〜1547)
Perin del Vaga
16世紀前半の宮廷的マニエリスム様式を代表する画家。ロッソ・フィオレンティーノも影響を受けているが、後世無視されてきた。
フィレンツェにメディチ家が復帰した1512年には、リドルフォ・ギルランダイオの工房にいた。1515年の教皇レオ10世のフィレンツェ凱旋の際に、サンタ・トリニタ聖堂に巨大なグリザイユの仮設の凱旋門を作り、ヴァザーリに称賛されている。その後教皇庁に招かれ、1518年から19年にかけて、ジョヴァンニ・ダ・ウーディネ(1487〜1564)とともに、ロッジャの天井のグロテスク装飾でラファエロを手伝い、ジュリオ・ロマーノが始めていたヴァティカーノ宮サーラ・デイ・ポンテーフィチ(教皇の間)の装飾を続けた。皇帝ネロの黄金宮殿(ドムス・アウレア)の装飾様式復活の場にいたことになる。彩色された漆喰による天井と壁のグロテスク装飾は、ジュリオとヴァーガによって各地に宮廷的装飾として広められていく。
1522〜23年、フィレンツェに戻り、ポントルモの作品に影響を与えたと伝えられる「一万一千人の殉教」の委嘱を受けた。作品は失われているが、習作が残されている。ミケランジェロの「カッシナの戦い」、レオナルドの「アンギアーリの戦い」のほかラファエロの「オスティアの戦い」からの模倣が見られ、人体で埋められた画面の最上部に神が現れている。若桑氏は構図にラファエロの「キリストの変容」の影響があるとしている。
ペリン・デル・ヴァーガ 2 人物略歴
ペリン・デル・ヴァーガ
サーラ・デイ・ポンテーフィチ(教皇の間)天井画 モノクロ
1520年頃 フレスコ ヴァティカーノ宮